『解放区』という言葉を聞くと血沸き、肉躍る!と感じるのはドンパチ世代?と呼ばれる方々ですかね。ちょうど団塊の世代と呼ばれている日本の改革と経済を力いっぱい支えた
先輩諸氏ということになりますね。私はそれより数年遅れての世代ですので直接ドンパチには関わることはありませんでしたが、まだ大学にもそのような雰囲気は少しだけ残っていましたし(立看やチラシ等)高校生の時代は、ゼネラルストライキに直面して日教組さんに属してる先生方が張り切って?おられました。生徒会役員をその時期にやっていて、必然的にそのような活動に直接的にまた間接的にかかわることも多くありました。70年安保闘争前後の東大闘争等もテレビで見ていましたし『世直し』という言葉が今でも耳に残っていますね。高校に入って生徒会活動にのめり込んだ2年間は『闘争』という言葉をキーワードにした本を毎日むさぶり読んでいた記憶があります(今でも本棚の片隅にひっそりと積まれていますが・・・😿)。差別問題を取り上げた『橋のない川』や鉄道自殺を図った故高野悦子さんの『20歳の原点』などは今でも印象に残っている本ですね。資本論は全く持って理解が出来ませんでしたが💦高校でも、とりあえず大学を中心とした学園闘争なるものは下火にはなっては来ていましたが、文化祭や体育祭。学校の規則等に対しての意見は活発に出ていた時期でもありますね。大学闘争で武闘派と呼ばれる学生を一部暴力学生などと非難した言葉もある反面、身を挺して戦っている学生たちを暴徒としか呼ばない学校に失望するなどの意見も結構耳にしたこともありました。別にそのような話をするつもりはなく、以前にも記しました『解放区』なるものに共感を覚えているので記してみました。私の感じている解放区とは、学園闘争で声高々にさけばれていた、『革命勢力が、実力を持って現政府を排除して支配下に置いた地域。特に、中国共産党が国民党政府より勝ち取った地域を指すことが多い。』ということや、かの有名になった『神田カルチェ・ラタン闘争によりJR御茶ノ水駅界隈に現出した地区』のお話でもなく、最近、雑踏の中の孤独から感じ取っているものです。『定年後』に関する本などをむさぼり読んでいますか、共通して出てくるキーワードに『一人になる時間を持ちましょう!』とよく出てきますが、別に定年したからどうのこうのということはないような気もしていますが、雑踏の中の孤独⇒『大勢の人がいる場所にいても、心は誰ともつながっていないように感じることです。人が多いほど、かえって自分だけが切り離されたように感じる場面を表す言い方として使われます。【フリー百科事典より】』をあえて感じ取りたいと思う時がありますよね⁈今年の3月からウェートコントロールを主目的としてスポーツジムに通っていることは以前にも記しましたが、当初の目的は昨年前立腺ガンのオペをした際の体育会系?のドクター(主治医)が「とにかく痩せろ。月に1㎏の減量は十分に可能だ❢」と言われたのをきっかけにさすがに1㎏/月は無理だけど1%/月は可能だと思い実践中。ここまで予定通りの減量に成功しているのですが、減量が目的から4月くらいからこのGymの電車から見える灯りは、『私の解放区』というイメージに変わってきました。上記のような定義ではなくこの空間が仕事や家庭。日常生活のすべてを忘れさせて自分自身に真剣に向き合える空間と感じるようになった「解放区」という意味です。いつも入館すると3時間ほど滞在するのですが、マシントレーニングで約90分。スイミングで約30分。最後SPAで今はやりのサ活(サウナ)で40分ほど。最後はチェアーマッサージで20分ほどというのが定番ですが、マシントレーニングの際のランマシンでは、駅から家路を急ぐ人々のマンウォッチを楽しみ、SWIMでは隣でのジュニアの泳力のスピードに圧倒され、SPAにおいてはサウナに入っている時は、昔愛知厚生年金会館のGymに通っていた際にサウナの中に掲げられていた看板の文字「サウナは一日のうちで、一番リラックスできる時間で す。・・・・・・・」という言葉を思い出しながら無二の境地?で何とか12分間汗を流しまくっている状態です。いわゆる、すべてにおいて雑踏の中の孤独を感じる瞬間でもあります。顔見知りの方々とあいさつはかわす程度ですが、皆様も自分の時間に別当されているので、おしゃべりすることもなくそれぞれが雑踏の中の孤独を楽しんでいる?ような気もしています。ここは皆様にとっても解放区なのかもしれないな~等と勝手に思いながら、週に3日間私の解放区に浸っている自分がいます。

