大変ご無沙汰いたしました。ブログをさぼっていましたら何名の方からか『HPを開いたのにちっともブログが更新されていない』とのお叱りを受けましてアップさせていただいています。大したこと書いていないのに『読んでいただいている方々がこんなにも多いのか?』と改めて感謝する次第でございます。さて、以前前立腺がんのオペのために入院した事を書きましたが、その経緯を今回は記してみます。私の周りにも突然この前立腺がんが疑われる?とのことで大病院にて検査を受ける方が増えてまいりまして、インフルエンザのように感染するものではないですが、やはり加齢とともにこのような症状が疑われることも多くなってくるようですね。私の場合の前立腺がん検診は、血液検査により「PSA」という前立腺に特異的なたんぱく質の値を調べる検査でした。
日本においては、前立腺がんはさほど多くみられるがんではありませんでした。しかし近年、もっとも増加しているがんのひとつとして注目されています。50歳頃から多くなる傾向があります。PSA(前立腺特異抗原)とは?「ピー・エス・エー (PSA)」は男性だけにある前立腺という生殖器官で産生されるタンパク質で、精液の中に混じって、ゲル状の精液をさらさらにすることで精子の運動性を高める役割があると言われています。PSA検査とは?
採血する検査で、血液中にあるに「PSA」の値を測定します。前立腺がんを調べる検査のなかで、もっとも精度が高く簡単に受けることができます。PSAのほとんどは精液中に分泌されますが、ごく微量は血液中に取り込まれます。そのため、正常な状態であれば血液中に存在するPSAの量はごくわずかです。しかし、前立腺がんや前立腺肥大症、前立腺炎などの病気があると、PSAが血液中に漏れ出して血液中のPSAの濃度が高まります。特に、前立腺がんになると前立腺の組織が壊れ、血液中のPSAが増加します。PSAの値が高くなるにつれ、前立腺がんである確率も高くなっていきますが、年齢により基準値が設けられています。基準値以上の値が出た場合、泌尿器科専門医を受診し、前立腺がんであるかを確定するための、より詳しい検査を受けることになります。PSA検査で見つけられる前立腺がんは、膀胱の下に位置するくるみ大の前立腺という臓器にできるがんです。男性がもっともかかりやすいがんであり、9人に1人が生涯のうちに前立腺がんに罹るといわれています。前立腺がんと診断される人の数は、年々増加傾向にあります。ただ、患者数は多いものの、前立腺がんは治療によって治る可能性が高いがんです。がんが前立腺の内部にとどまっている早期の段階で発見し、適切な治療を受けた場合、5年相対生存率は100%とされています。このように、発見が早ければ完治を見込める前立腺がんですが、多くの場合、早期の段階では自覚症状がありませんが、症状が出たときにはがんが進行している可能性もあります。前立腺がんの症状として早期がんは、特有の症状はないですが、私のような進行がんですと腺肥大症と同じような症状が出現するらしく尿が出にくい、残尿感がある。排尿回数が多い、夜中に何度もトイレにいく。尿の勢いが弱い、尿意を我慢できないなどです。
通常の数値は0~4.0と言われていますが私の場合はなんと30倍の120。ドクターは300の人もいたからと言われましたが、正直なんの慰めにもなりませんでした💦。当然のことながら大病院で精密検査の結果、前立腺癌のステージ3。がんが前立腺の内部にとどまっておらず粘膜を突き破っての状態で他の臓器や骨に転移している可能性は大!とのことでしたが精密検査の結果どこにも転移は認められず、さすが不条理の練習という名のしごきに耐え抜いた昭和の体育会系は脳みそから臓器、骨まで筋肉出てきているのでは?と思ったくらいでした。がん細胞を小さく死滅させてからオペということで、オペまでの5か月間ほど制癌剤を投薬されましたがこれの副作用の強いこと。放射線治療と違って髪の毛が抜けるとかはありませんでしたが、なんせものすごい倦怠感と、時として手足のしびれ、発汗などが続き、そんな状態で毎日よく出勤していたとつくづく思いました。それでも当初120の数値を記録したPSAも2か月後には2.0までに急降下。3か月後にはついに0.12まで下がって薬剤師さんもびっくりといった状態。オペで取り除いたがん細胞の病理検査の結果はすべて死滅していたとのことで、その後の検査でも0.006。0.006と2回続けての数値で、当初の120が嘘だったよう気がしています。オペが趣味?といった感じの主治医も完全治癒を宣言していました。(自称、最も得意としているオペとのこと)定期健診も今後は3か月間に1度の割合に減少しましたが、これで少し早いですが無事に年越しができる!と安堵してます。今年は元旦早々から叔父の逝去で始まり、仕事内容の大幅な変更や癌宣言とオペ。その後も再び叔父の逝去がありここまで散々な日々を送っていると感じていましたが、反面良いこともあり来年への希望が少しだけ見えてきた気もしています。1年間の総括は年末に記すことにしますが、365日の間にいろいろな大きな出来事があった年だと日記?(その日の出来事を今の労働局に入った時からメモ程度に残しています)を時々読み返してみるとつくづく思う今日この頃です。

