毎日、体温越えの最高気温が記録された旨のニュースが飛び込んできていますが、昔のように『暑中お見舞い申し上げます』なんという言葉ではとても足らず『酷暑』という言葉を使わせてもらいました。熱中症アラートが連日発令されている中でも学生たちが部活動で真っ黒になって帰っていく姿を見ますと、『これからの日本をしょって立つ若者たちよ、頑張れ❢』とつい応援をしてしまうのは、同じように毎日暑い中練習に明け暮れた若い日々を送ってきた世代の持つ感覚でしょうかね。もっとも当時はどれだけ最高気温が高くても30度を少し超えたぐらいでしたが、今のように40度越えなどというのは経験したことがありませんでした。もっとも昭和の当時は『練習中の水飲み禁止』『座って休むことの禁止』『喉がつぶれるまでの声出し』『うさぎ跳び』という4大訓?はびこっていましたけど、今にして思えばよく耐えまくっていたな~と思います。他のクラブではグランドに水筒を埋めていたり、ロードワークの時にトイレに立ち寄って水を飲んだり、神社の手洗い用の水をひしゃくですくって飲んでいたりする豪傑もいたりして、すごい時代だったな~と思います。今は水分補給もするし日陰で座って休むこともしているようですが昔と比べて気温が10度以上も高い状況では、プラスマイナス0かなとも思っています。そんな中でもひたすら練習に明け暮れる部活に行く姿は世代を超えてジーンと胸にこみあげてくるものがありますね。
夏休みは学生の特権だ❢と社会に出たときつくづく思いましたが、長期休みでも2/3近くは部活で出校していたからあんまり関係ないか?とも思ってましたけどね。小学校時代は夏休みになりますと学区で町内対抗のソフトボール大会がありまして。小学校4年生からレギュラーとて出場していて大会のあった8月上旬までそれこそ毎日近くの公園で練習漬けて最終学年の6年生の時はついに優勝を勝ち取って3年間の苦労が実を結んだとつくづく思いました。このころから夏休みは外で運動するものと身体にインプットされていて、中学からの学生時代は夏休みという言葉がなかったと思っています。それでも毎日練習していても身体が持ちこたえたのはやはり鍛えていたからですかね。なんせ大会が終わってもまた明日から練習❢というのが常識でしたからね。
